老犬介護が始まって最初は愛犬が憎くなり徐々に愛しさに変わっていった

老犬介護が始まって最初は愛犬が憎くなり徐々に愛しさに変わっていった

「老犬の何が可愛いの?」「子犬の方が可愛いじゃん」って思う人もいるかもしれない。けど、本当に老犬は可愛いということを伝いたくてブログにしました。

目次

老犬介護が始まって愛犬が憎くなった…

コタロウがてんかん発作で倒れて、立てなくなり、本格的に老犬介護が始まった当初は、オシッコやウンチ、食事の世話、夜鳴きととにかく大変で辛くて、正直「もう嫌だ」ってなりました。

老犬介護が始まって愛犬が憎くなった
昼夜問わず吠えまくるコタロウにストレスの限界が…

仕事やゲーム、買い物や外食など、今まで当たり前のように出来ていたことに制限がかかり、「コタロウの介護のせいで…」と愛犬が憎くなった時も正直あります。吠えるコタロウを放置して外でタバコを吸ったり、妻にコタロウの介護を任せて家から逃げるように外出したことも何度かありました。

辛すぎてとにかく家から出たかった
コタロウの介護から解放された時は心が安らいだ

日に日に愛しさが増していく

ですが、介護生活が当たり前になると少しずつ余裕が出てくるんです。介護が始まって半年過ぎたあたりでしょうか。大変だし辛い気持ちに変わりないんですが、その中にある「愛しさ」が日に日に大きくなっていくんです。コタロウがどんどん愛しくなる。コタロウのために何が出来るんだろうって四六時中考えるようになりました。

愛しすぎてコタロウのことを四六時中考えている
コタロウの幸せしか考えてなかった

今ではあんなに嫌だった吠え声すら愛しく思え、「元気だ、良かった、嬉しいな」なんて感じちゃうんです。起こさせれるのだって苦じゃありません。大好きなゲームもコタロウが寝ている時にしかやらないと決めたし、ゲームの途中でコタロウか起きたらゲームは中断。仕方ない用事で外出する時も、妻がコタロウをみてるのについ心配になって足早に帰る。朝だって、自分の朝食よりまずコタロウのご飯。そのまま朝兼昼ご飯なんてザラ。

自分の飯よりコタロウの飯優先
自分の飯よりコタロウの飯が最優先

特に寝姿はたまらなく可愛い。さっきまで鬼の形相であんなにギャンギャン吠えてたのに、スッと静かに眠るコタロウ。目が細くなって、前歯が出てて、安らかな表情で。

コタロウの寝顔がとにかく可愛い
コタロウの寝顔には何度も癒された

後頭部なんて最高に可愛いと思いませんか?おじいワンの後頭部。

コタロウの後頭部に哀愁を感じる
哀愁漂うおじいワンの後頭部

コタロウの頑張ってる姿に尊敬

ご飯を食べなくなったり、お腹を壊したり、発作が起きたりと、何度も窮地を乗り越えてきたコタロウ。立てない、歩けない、体が満足に動かせない。辛い日々、コタロウは本当によく頑張っています。その姿を近くで見て、私は関心を通り越してコタロウを尊敬しています。

もし自分が同じ状況だったなら、すぐに心折れて、全てが投げやりになってるだろうに、コタロウは諦めずに毎日必死に生きてる。そんな健気で、力強く命の炎を燃やしてるコタロウを邪気になんて扱えないですよ。

だから今は、お世話をさせてもらってる、生きるということを教わってる感覚に近いかもしれません。

老犬介護は今しか経験できない幸せが詰まっていた

老犬介護が辛くて安楽死を選ぶ人も実際問題います。これ以上、面倒を見たくないと理由で老犬ホームに預ける人もいることでしょう。それぞれの家庭には事情があると思います。ですが、辛さの先は老犬介護の幸せがあります。少なくとも、今は私はコタロウの介護をしてとても幸せな日々を過ごしています。

今はゲームに熱中したり、美味しいご飯を食べに行ったり、旅行したりは出来ないけど、またいつか出来るようになる日が来る。

でも、老犬介護には今しか経験できない幸せが詰まっている。何物にも代え難い思い出。下手な言い方だとプライスレス。

コタロウに添い寝するのが至福の時間
コタロウに添い寝するの至福の時間(一緒に寝る時もある)

一緒に過ごした大切な家族だから、最期のその時まで一緒に居てあげたい。この気持ちって当たり前のことだと思います。

とまぁ綺麗事は置いといて、本当にコタロウが可愛いくて仕方ないんですよね。

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この記事を書いた人

柴犬コタロウの老犬介護に生活の全てを捧げたアラサーおじさん。千葉の先端にある古民家で暮らしてます。保護猫2匹も一緒に住んでます。Twitter、Instagram、YouTubeでも老犬介護の情報を発信しています。

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