老犬介護がはじまって安楽死を選択をすることについて

老犬介護がはじまって安楽死を選択をすることについて

YouTubeでコタロウの様子を見た視聴者から「安楽死させた方が良い」というコメントが結構あります。なかには、実際に安楽死という選択した飼い主さんの意見もありました。

当然ながら、コタロウに対して安楽死という選択肢は毛頭にもない。しかし、安楽死を問答無用で全否定すべきかと言えば、そうでもないと思う。今回は老犬介護の安楽死について自分なりに考えてみました。

目次

犬は安楽死を望んでいるのか?

そもそも、犬本人はどう考えているのだろうか?安楽死を望んでいるのだろうか?犬は喋ることができないし、意思表示もできない。仮に意思表示してたとしても、それが飼い主に伝わらなかったり…。

安楽死を飼い主の一存で決めて良いのだろうか?

「死にたい」と思っているのに生かされるのと、「生きたい」と思ってるに殺されるの、どちらが辛いのか?

上記の内容でツイートしたら、そこそこの反響がありました。大半は「安楽死は反対派」の意見です。

犬自身には「死ぬ」という概念が存在しないという言葉はよく聞きます。だとしたら、人間のように「辛いからいっそのこと死にたい」という考えはないはず。辛い中にも必死に生きようとしてるはず。

「犬は飼い主と最後まで一緒にいることが幸せ」という考え方もあります。最期まで看取るのが飼い主としての責任という意見もありました。

かくいうコタロウからは「辛い」という感情は痛いほど伝わるものの、「死にたい」という想いは一切感じません。辛い日々の中にも、なんとかもがいて必死で毎日を生きています。そんな頑張っているコタロウに対して、安楽死という無慈悲な選択は絶対に出来ません。

安楽死は必ずしも「悪」とは限らない

ただ、安楽死を一概に否定はできないとも考えます。これも人間の勝手な意見になるけど、安楽死は終末期介護における緩和ケアの究極選択になるのかなと思います。

YouTubeでのコメント同様に、先ほどのツイートのリプライ(返信)にも、過去に安楽死をした飼い主さんの意見がありました。

愛犬が癌や治療困難な病気で辛そうにしている場合、その苦しみから解放してあげるために安楽死を選ぶ。これも愛情になるのかなと。

もし、自分が末期癌や難病を発症し、治療も不可能、余命もあと数ヶ月と限られている、そして日本国内で安楽死が認められていた場合は、自ら安楽死を希望するかもしれません。

犬に「死」という概念がなくとも「痛み」や「苦しみ」という辛さは存在する。一刻も早く、その辛さを取り除いてあげるのも飼い主としての役割なのかなと思いました。

飼い主都合の安楽死は決して許されるものではない

苦しみからの解放以外にも、安楽死を希望する理由は様々です。例えば下記のような飼い主都合の理由。

  • 世話する人がいない
  • 仕事を休めない
  • 経済的に余裕がない
  • 鳴き声がうるさくて近所に迷惑がかかる

上記のような理由の安楽死は、まずあり得ない。決して許されるものではないと思います。

愛犬が老いて、夜泣き、徘徊、食事拒否、寝たきりになり、治療や通院が必要になる。つまり老犬介護が始まって、自分達で面倒を見切れないからと安楽死を選ぶ飼い主も少なからず存在します。

飼い主の方で愛犬の介護ができないなら老犬ホームという選択肢があります。老犬ホームにあずけるお金がないなら、消費者金融でお金を借りれば良いだけのこと。借金が嫌なら仕事をやめて貯金崩すなり、失業手当もらいながら付きっきり介護すればいい。

「簡単に言うな」と思う人もいるだろうけど、逆に問いたい。家族の命より大切なものって何?家族の介護を前に身を削る覚悟がないだけ。

夜泣きや無駄吠えには理由があるし、薬を使って症状を抑えることもできる。やる前から諦めているというか、そもそも愛犬をぬいぐるみか何かと勘違いしているのでしょうか?そんな人は愛犬を家族として扱っていない。安易にペットを飼ってはいけないと言われる理由がこれです。

「犬の介護をしたくないから」「治療費を払いたくないから」という身勝手な理由での安楽死は殺処分と同じだと思います。また、安楽死を行う動物病院でも、その辺の審査はしっかりやってもらいたいものです。

ご飯を食べなくなった時が死期

動物は人間以上にシンプルで「食べることは生きること」だと私は考えます。なので、食べなくなった時が死期なんだと考えます。ご飯を食べなくなったということは、もう本人はそっとして欲しい、このままゆっくりと逝かせてくれという意志の現れなのかなと。

そういった意味だとコタロウは未だ食欲旺盛で、毎日ご飯をガツガツ食べてくれます。何度かご飯を食べなくなった時もありましたが、フードを変えたり、強制給餌をキッカケに食べるようになったりと、まだまだ食べたいという気持ちは強いままです。

コタロウの食欲はまだまだある
コタロウの食欲はまだまだある

なかには、もう何も食べなくなった愛犬を胃ろうにしたり、鼻にチューブを通してフードを流し込む経鼻栄養にしたりと、何とか頑張らせる飼い主さんもしますが、あれに関しては反対です。義父が胃ろうにして、どういう風に生き続けて、どういう最期を迎えたかを目の当たりにしているからです。

もちろん、治療や回復期の胃ろう・経鼻栄養は賛成ですが、介護や終末期となると話は別かなと。そうした行為は本人の意思に反した延命治療、飼い主のエゴでしかない気がします。

コタロウの「生きる」という強い意志を家族で支える

コタロウが辛そうにしているってことは、側でいつも見ている飼い主の私が一番理解しています。急に立てなくなって、歩けなくなって、パニックになって、息も上がって、本当に可哀想だと思います。

それでも、コタロウは毎日を必死に生きてる。食べて、眠って、起きて、また食べて。そこには「生きる」という強い意志を感じます。頑張っているコタロウが諦めていないのに、飼い主が諦めるなんてことは絶対にできません。

あと、我が家も結構ギリギリの状態でコタロウの介護をしています。

24時間体制で付きっきりの介護をしていると、どうしても自由に動ける時間が限られてしまいます。老犬介護を言い訳にするのはコタロウに申し訳ないけど、仕事も睡眠も以前のようにはいきません。貯金も体力もすり減る一方です。

それでも妻と2人で協力しながら、何とか今の生活を維持しています。眠いし、大変だし、辛いけど、無理ではないんです。コタロウの方が辛いんだから、弱音なんて吐いてられません。

コタロウは大切な家族。今がコタロウの大ピンチ。どんな痛みを伴っても、みんなで乗り越えるってのが家族ってもんでしょう。

他人からどう言われようと、我が家は一緒に頑張るという選択肢を選びます。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

柴犬コタロウの老犬介護に生活の全てを捧げたアラサーおじさん。千葉の先端にある古民家で暮らしてます。保護猫2匹も一緒に住んでます。Twitter、Instagram、YouTubeでも老犬介護の情報を発信しています。

コメントをどうぞ

ご意見、ご感想、ご質問などお気軽にコメントください。

コメントする

目次