コタロウ、永い眠りにつきました

2022年11月29日19時56分、コタロウが息を引き取りました。

もうすぐ12月、これから寒くなる、日光浴とかどうしよう。そんな心配をしてたけど、寒くなる前に逝ってしまった。

犬が亡くなる時は、食べず飲まずで2週間ほどと聞いていたので、コタロウはあと1週間くらいかなと思ってた。でも、食べなくなって3日、水を飲まなくなったその日に逝った。もう、コタロウの体は限界だったんだ。

人生で初めて、命が絶える瞬間に立ち会った。真っ先に感じたのは「あっけなさ」。呼吸が変わって、ヤバいと感じて、すぐだった。1分もなかったかも。1年間、必死に頑張ってたのに、逝く時は本当にあっけない。

1年間、コタロウは頑張ってきたのに、やばいと思って1分もしない間に…。

呼吸が止まって、動かなくなって、本当に終わったんだって。「あっけない」という言葉以外に何も浮かばなかった。思わず、涙を流しながら「ホント、あっけないな…」とつぶやいたのを今でもはっきり覚えている。

火が消えるような終わり方だった。「あ、消えた」って感じ。あっけないんですよね。消える瞬間が分かるから、とてつもない悲しみの中での、あっけなさ。

今まで経験したことのない喪失感なか、この日もいつも通りコタロウの横で眠った。

翌朝、目を覚ますとコタロウは同じ姿勢で眠ったまま。でも、もう目を覚ますことはないんだなっていう現実が辛かった。

朝ごはんの準備をしたり、水を飲ませる必要はない。オムツを交換する必要もない。目の乾燥を防ぐために目薬をさす必要もない。全身をマッサージもする必要もない。太陽を追いかけてコタロウのベッドを移動したり、ヒーターで体を温める必要もない。いつもやっていたルーティンがなくなって、何もすることがないまま時間だけが過ぎていった。

そんな中、火葬の予約だけはした。コタロウをこれ以上動かしたくない、あとは最期まで我が家でという思いが強かったので、移動火葬車を手配した。予約が一杯で、予定よりも1日遅い、3日後の12月2日の17~18時に火葬が決まった。それまではとにかく冷やさなければいけない。

昨日までは必死に温めようとエアコンつけて、ヒーターつけて、コタロウの足元に湯たんぽ忍ばせたり、足握ったりしてたのに、亡くなってからは保冷剤やドライアイスで冷やしてるのがなんだか辛かった。

だから少しだけ日向ぼっこさせた。コタロウ、日向ぼっこ好きだったから。ぽかぽか陽気が気持ちよくて、本当に眠っているだけのようだった。ゆっくり目を開けそう、口をクチャっとしそう、呼吸でお腹が膨らみそう。硬く、冷たくなったコタロウだけど、まだ生きかえるかもって心の奥でちょっと思ってた。

でも、今の体で生き返っても辛いだけだよね。コタロウは不自由な体を捨てて、自由に動けるようになったんだ。そう思うようにしてた。

コタロウとの思い出の品を家中から集めることにした。はじめての首輪とリード、カッパ、ご飯皿…コタロウの枕元に並べた。ここにコタロウとの思い出がすべて集まってる。

コタロウが亡くなった翌日、翌々日は特に何かするわけでもなく、コタロウを見つめながらぼーっとして過ごした。そして火葬の日。お昼過ぎにはドライアイスを取り除いて、冷やすのをやめた。体をタオルで拭いて、肉球をマッサージしながら保湿クリームを塗り、ブラッシングした。ブラシに付いた毛も採取した。あとは「頑張ったね」と褒めて、たくさん撫でた。そして最期の添い寝をして残りの時間を過ごした。

コタロウは左下で寝ている方が楽そうだった。でも、最期は右下で寝ている時だった。亡くなる当日、眼球の落ち窪みが気になり体位変換して右下にした。その時、呼吸が危うくなって、それから体位変換が怖くて出来ず、そのまま…。だから、亡くなる前、もし左下だったらもう少し楽に逝けたかな?穏やかな最期だったかな?と後悔した。

亡くなった後も、ずっと右下のままだった。何となく、そっとしておこうと思ったのかも。でもやっぱり、リラックスしてた左下で寝かせよう、天国へ行く時はその方がいいと、最後の体位変換をした。大丈夫、反対側でも綺麗な寝顔。ごめんね、一番良い状態で送り出せなくて。

そして夕方。葬儀の人が到着し淡々と進む。火葬前に体を炉に収めるため、葬儀の人がコタロウの足を無理やり曲げた。ミシミシっと聞こえたのが辛かった。生前、麻痺で全身が強張って足は伸びたまま固まってた。足は曲がらなかったのに無理やり…。力づくで曲げようとしてたけど、結局、ほとんど曲がらなかった。

コタロウを抱き抱え、ハイエースに搭載された火葬炉へ。炉がまだ温かい。ついさっき、他の子が火葬されたんだ。コタロウはそこまで大きくないから炉には問題なく収まった。だったらあんなに無理やり曲げなければよかったのに…。ごはん、おやつ、あとは剥がれた肉球の角質、以前に折れた歯を一緒に入れた。これもコタロウの体の一部、持っていって欲しい。

息を引き取った時が1度目のお別れ、そして火葬が2度目のお別れ。これでもうコタロウに触ることができなくなる。匂いも、毛並みも、感触も、感じることができなくなる。

1時間後、骨になったコタロウ。トレーに並べられた骨。小さな頭蓋骨。こんなに小さいのに、この小さな頭蓋骨の中の小さな脳にできた腫瘍が、コタロウをあんなにも苦しめたと思うと、とてつもなく悲しくなった。

悔いのないようにたくさん触ったのに、いざ骨になると全然触りたりなかった。もっと触ればよかった。もっと匂いを嗅げばよかった。もっと抱きしめればよかった。

翌日、寝る場所、家具の配置、部屋の模様替えをした。生活の全てを変えないと、ふとした瞬間にコタロウを思い出して辛くなって、何もできなくなる、前を向く事ができなくなると思ったから。決してコタロウのことを忘れたいわけじゃない。時間は進む、辛くても前に進まなければいけない。これが残された者の宿命だから。

余ったフードや薬は知り合いに譲ったり、保護団体に寄付した。まだ使えそうなものはとりあえずクリアケースにまとめて入れてた。それ以外は捨てた。勢いで一気にやった。今やらないと、どんどん辛くなって手がつけられなくなりそうだから。

一通り部屋が片付いたら、コタロウと私と妻の3人で思い出の散歩コースを歩いた。骨壷と分からないようにブランケットで包んで、手さげ袋にいれ大事に抱き抱えながら。久しぶりの散歩。要所要所でコタロウとの思い出が蘇る。以来、採取したコタロウの毛をポケットに入れて、散歩コースを歩くのが毎朝の日課になっている。

寝る時は毎晩枕元に置いて一緒に寝るようにしている。晴れた日は日の当たる縁側に、曇りで寒い日はストーブの前にコタロウを移動させている。そこにコタロウがいると思って毎日過ごしている。

ジンクスを気にしなくなった

コタロウを失ってジンクスを気にしなくなったという点では、気楽に生活できるようになった。

コタロウを介護していた時は、高速バスの座席や駐車場など数字を選ぶとき、コタロウのお灸、買い物などで何個か手に取るとき、4や6、9といった数字は意識的に避けていた。

あとは、お風呂の入浴剤はいつも使ってる緑をなど、いつもと違うことをするとコタロウの容態が悪化するかもしれない、そう思って私生活でもジンクスに気を使っていたから。

禁煙してたけどタバコは14箱吸った

4年禁煙してたけど、コタロウの介護が始まってタバコを吸い始めた。主にストレスのせいだけど、自分が不健康になればコタロウが長生きするかも、なんて謎な考えもあった。

コタロウが発作を起こしてもうダメだと思った時「自分の寿命10年差し出す代わりに、コタロウを1年生かしてくれ」って神様に願ってたから。だから自分はどうなっても良いって考えもあった。むしろどうにかなれば…とか。吸い殻は捨てずに溜めてて、数えたらほぼ14箱分だった。1年で14箱は全然だね。

禁煙してたけどタバコは14箱吸った

コタロウの介護も終わり、タバコを吸う理由も無くなったからまた禁煙しようかとも考えたけど、コタロウの存在がタバコを吸うキッカケのように思えてきて、なんか嫌だったから今でもたまに吸ってる。早死にするならそれはそれでコタロウに会えるし…とか思ったり。

好きだった音楽がなかなか聴けない

大きな声で吠えていたコタロウ。イヤホンは必須で介護中によく音楽を聴いていた。毎日数時間はイヤホンしてたかな。

でも今はがなかなか聴けない。あの頃を思い出して、また辛い気持ちになりそうで。

初めて笑顔で泣けた

これ、コタロウもよくやってた。最初の頃は絶対に的中させてだけど、晩年は成功率は半々だったっけ。

コタロウが亡くなってずっと悲し涙しか流してなかったけど、このツイートを見た時は、初めて笑いながら泣けた。忘れてたなぁ。幸せな思い出もあるじゃん、ありがとう。

コタロウは最期の最期まで本当に頑張った

こんなに痩せ細るまで頑張った犬は珍しいみたい。そうだよね。もう色々と限界だったんだよね。命の炎、燃やし尽くしたんだよね。すごいなぁ、コタロウは。

コタロウの姿をSNSにアップしたことに対する批判も多かった

「我が子の遺体をSNSにアップするか?」「亡骸なんて見たくない」「晒されてコタロウが可哀想」という批判も多かった。まぁ、言ってることは分かるんだけど。

ただ、応援して下さった多くの方にちゃんと伝えたいし、コタロウの最期まで記録すると決めたし、それが今後どこかのワンコ、飼い主さんの役に立つと思って、Youtube、Twitter、Instagramはずっと続けてきたこと。自分自身もそれを持って供養、気持ちの整理になると思う。

時間はまるで川の流れのように過ぎていく

コタロウを失ってからの時間はまるで川の流れのよう。コタロウは河岸で止まったけど、自分は止まることなく今も流されている。流されるにつれ、コタロウの姿が小さくなっていく。つい最近までずっとそばにいたのに、一緒に流れていたのに、コタロウがだんだん遠くへ。

時間が経てば日常生活でコタロウのことを考えることも減っていく。生きてれば記憶がどんどん新しく書き換えられて、コタロウとの記憶が埋もれていくような気がする。この先、コタロウのことを少しでも忘れていく自分が怖い、辛い、嫌だ。

ある夜、涙を流す演技をしなければいけない夢を見た。コタロウのことを考えればすぐに泣けると思ってたのに、なかなか泣けなかった。朝目覚めて「なんで泣けなかったのか」「もしかしたらもう悲しくないのか」そう思った。でも、朝の散歩中、コタロウのことを考えて涙が溢れてきた。悲しかったけど、安心した。

本当の辛さは失うこと

コタロウの介護が始まって、全然眠れない、遊びに行けない、仕事もできない、吠え声で耳が痛くなったり。初めての経験でとにかく辛かった。

でも、そんな辛さよりコタロウを失った辛さの方が何百倍も辛い。今は好きなだけ眠れるのに、自由に遊びに行けるのに、家は静かなんだけど、あの頃よりずっと辛い。本当の辛さって、失ってどうすることもできない状態のことなのかも。

コタロウが苦しい最期になったのは全て自分のせい

コタロウを亡くした今、ただただ、ごめんという思いが強い。

あんな穏やかな性格だったコタロウが、あんなに吠えて、もがいて暴れて、尋常じゃない苦しみ、辛い毎日だったに違いない。1年だよ。ずっと苦しい思いをしてた。老犬だったのに過酷だった。表情も全然違う。あんな優しい顔してたのに。目がすべてを語ってる。

体重も13kgあったのに最期は骨と皮だけの5kgに。最期まで歩けて幸せな犬生にしてやれなかった。自分がもっとしっかりしてれば。てんかん発作の時、適切な処置ができてれば。別の動物病院を選んでいれば。知識があれば…。

自分のせいでコタロウはずっと苦しい思いをして過ごしていた。自分のせいで苦しい最期になってしまった。

だから全然優しい飼い主じゃないんだよ。SNSでは「優しい飼い主さんに巡り会えてコタロウくんは幸せですね」って言われるたびに胸が締め付けられる。介護が始まって、全身全霊でコタロウに尽くすのは当たり前なんだよ。むしろまだまだ足りないくらい。コタロウへの償いが。

今更謝ってもコタロウは死んでしまった。だから自分ももっと苦しまなければダメなんだ。こんな自分が幸せになっていいはずない。笑っていいはずない。美味しい物を食べていいはずない。ぐっすり眠っていいはずない。もっと苦しまないと。苦しい思いをして生き続けないと。犬の1年は人の7年、だからせめて7年間は死ぬ気で生きないとダメだと思った。むしろ苦しんだ方が自分自身が救われる気がしている。

自分を責めることについて

引用:動物を失って自分を責める:獣医師シワ男

この人の言ってることは違うかな。別にコタロウに許してもらいたいわけじゃない。自分を責めた方が楽だからとも思ってない。この投稿のコメントでもあったけど、単に湧き上がってくる感情で、それに意図なんてものはない。

そりゃ「コタロウは幸せだった」と胸を張れる犬生にしてやれてれば、自分を責めることなんてなかったと思う。そうじゃなかったから、今こうして自分を責めて辛い思いをしているわけで。

人それぞれなんだよね。どういった最期だったかで違うと思う。自分を許すほうが正解、許すべきって考えは一概には言えないんじゃないかな。

ペットを亡くして「自分を責めるのは、その方が楽だから」っていう人もいるけど、私から言わせてもらえば無理やり「幸せだった」って思い込む方が事実から逃げてるんだと思う。だから気が済むまで悔めばいいんだって。そう思うようにしてる。

価値観は人それぞれなんだよね。自分は「ごめんね」って申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、妻は「コタロウは幸せだったよ」と言う。同じコタロウの飼い主でも、こうも考え方が違う。

どっちが正しいとか、間違いとかはない。冷たいねとか優しいねとか、ネガティブとかポジティブとか、考えすぎだとか無神経だとか、そういうのはないと思う。どう感じるかの違い。だから今の気持ちに素直になって、我慢せず、無理せず、自分のペースで過ごせばいいと思う。

コタロウに出会えて本当に良かった

2018年6月14日に我が家に来たコタロウ。我が家に来る前、前の飼い主にはたくさん愛してもらってたかな?コタロウは本当に幸せだったかな?4年5ヶ月と短い間っただったけど、コタロウと過ごした時間は一生の思い出だよ。

コタロウと過ごした時間。言葉が通じなくても、人から教わることができない大切なことに気づかせてくれた。

カッコよかっった。本当にカッコよかった。あんなに頑張って、耐えて、生き抜いたコタロウ。高齢なのに、あんな勇ましい生き方、絶対に真似できない。真似できないけど、自分もコタロウのように限界まで耐えて苦しんで懸命に生きようって心に決めた。

コタロウに会えて本当に良かった。コタロウじゃなきゃダメだったんだなって。優しい、穏やか、我が家にぴったりな犬だった。コタロウみたいな犬はもう現れない。

12月、朝晩寒いけど、日差しは暖かいよ。もうちょっとゆっくりしてけばよかったのに。

でも、苦しかったからね、辛かったからね。本当にお疲れ様。しばらくゆっくり休んで、いっぱい走り回って、たくさん食べて。もしよかったら、また会いに来てよ。忘れずに、いつでも待ってるから。

最後に

当たり前なんて存在しない。
平穏は突然崩れる。
日常という幸せを大切にありがたく感じなければいけない。
家族を大切に。
コタロウが教えてくれたこと。

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この記事を書いた人

柴犬コタロウの老犬介護に生活の全てを捧げたアラサーおじさん。千葉の先端にある古民家で暮らしてます。保護猫2匹も一緒に住んでます。Twitter、Instagram、YouTubeでも老犬介護の情報を発信しています。

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コメント一覧 (8件)

  • この世で1番大事な、私がどんな時でも基本的に幸せでいられた理由だった老犬息子の今日が月命日という朝に、これを読めて良かったです。
    そうですね。亡くなったあの子をカートに乗せて最後の朝のお散歩してからもう2度と歩きたくなかったコースを、今朝は久しぶりに辿ってみようか。

  • Twitterで見せていただいてました。Twitterにコメントできないようになってしまってるのでこちらから。
    ほんとうに発信してくださりありがとうございました。
    どうぞこれからも、猫ちゃんの事、発信してください。

  • 読ませて頂き涙が出ました。

    人それぞれ価値観は違いますが私はコタロウくんの飼い主さんがされた事は間違えではないと思います。
    あまり自分を責めないでくださいね、、
    私はコタロウくん幸せだったと思いますよ。。

    いつも拝見させて頂いていつからかコタロウくんのファンになり大好きになり毎日とても健気な姿に勇気や優しさを頂いていました。
    コタロウくんありがとう!!

    飼い主さんの寂しさや辛さが軽減されもっともっと幸せな日々が訪れ毎日穏やかに過ごせます
    ように…

  • コタくんのお父さん、どうされているかなとインスタに書いてみたりしてました、私も昨年9月3日愛するダイをの橋に送り年末も年始も何もおめでたくなくて過ごしてきました、今は娘が買ってくれたイケアの大きなゴールデンのぬいぐるみと小さなぬいぐるみのを枕元の両側に置いて眠っています、
    コタくんのありのままの姿は私の心にずっと残っています。こんな姿載せるのかと言う人もいるでしょうが人それぞれの感じ方ですからどう思われても貫いたパパさんのお気持ち私はスゴイ!と思います、お元気になってくださいね。
    なかなか無理なことは自分もそうだからわかりますが心に生きるコタくんと共に春になったらお散步してくださいね、書いてくださりありがとうございました。涙しながら読みました。

  • はじめまして
    何が…正解なんてない
    何故…なんてない
    ただただ愛しいだけ
    後悔も懺悔も赦しも…
    只ただ愛しいだけ

  • 私も小さな頃から一緒にいた愛犬を大人になってから亡くしました。コタロウくんの最期は晩年のあの子に似ていて、他人なのに思い出してしまってとても辛かった。
    私は上京していて、飼い主さんのようにコタロウくんにしてあげられませんでした。晩年のあの子はもう認知症だと言われていましたが、それでも私が実家に帰って話しかけて撫でると、口をくちゃくちゃ鳴らして、嬉しいときの、私が大好きな匂いを出しました。あの子はきっと毎回お帰りと言ってくれたのだと思います。
    勝手に出ていってたまに帰ってくるだけでなにもしてやれない私をあの子はいつも歓迎してくれました。亡くなったあと、硬くなった身体をずっと撫でてました。耳だけがいつまでも柔らかかった。4年たった今でも感触を覚えています。
    ずいぶんと後悔してしばらく動画も見れず、火葬後に拾った歯と小指の骨を眺めて泣いてました。それから2年ほどしたあと、掃除中にみつけた昔の携帯を整理していました。あの子の写真や動画を、そういえばそのままだったと思って、中のデータをSDカードに移しました。まだ見るのは辛かったですが、データを整理しようとひとつづつ見ました。
    活き活きとして、走ったり、駆け寄ってきたり、楽しそうにしているあの子がいました。私はそこで、あの子の最期にばかり囚われていることに気づきました。それまで思い出すのは寝たきりになったあの子ばかりでした。元気だった頃のが遥かに長かったのに。
    あの子に申し訳なく思いました。あの子が寝たきりになっても私を歓迎してくれたのは、きっとその元気だった頃の思い出があったからなのに、私はあの子が死んでから、あの子が大切にしてた思い出を蔑ろにしていました。
    コタロウくんが幸せだったかはコタロウくんしかわかりません。私もそう思います。でも、飼い主さんに撫でてもらったり、一緒に散歩したりした思い出をきっとコタロウくんはずっと大切にして求めていたはずです。だから足を引きずってでも飼い主さんと散歩をしたんだと思います。
    可哀想なことをした。苦しめたと思うのはよくわかります。私も今でも思います。私がおらず、父と母があの子だけを気にかけて可愛がったら、私以外の、実家をでない人間が子供でいたら、もっと幸せだったかもしれないと思うことがあります。でも、あの子は私との思い出を大切にしてくれてた。私はその思い出を大切にしたい。
    どうか、コタロウくんの大切にしたものを、大切にしてください。申し訳ないばかりではなく、楽しかったも同じくらいどうかこれからも大切にしてください。
    えらそうにすみません。後悔ばかりで、愛犬の晩年しか思い出せなくなった私のようになってほしくなく、書きなぐってしまいました。失礼しました。コタロウくん、頑張りましたね。強くて、立派で、可愛くて、本当にいい子です。
    まだ寒いので、どうかお体にはお気をつけください。失礼しました。

  • 今日初めての月命日。読ませていただきありがとうございますやはり、泣きながら読みましたが。命あるのもいつかは消えてしまいますよね。

  • 犬猫あわせて6匹と暮らしています。
    すでに3匹の子を見送りましたが、
    あと6回も同じ思いをしないといけないのかと考えると、
    それだけで泣きそうになります。
    でも拾った瞬間から見送るまでが自分の責任だと思うので、
    私も毎回看病、介護の時は弱い自分との戦いです。

    追伸
    毛玉の親父さんの元に毛皮を着替えたコタロウくんが、
    またやってくると思いますよ

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