ばあちゃんが亡くなって葬儀でのお坊さんの言葉に感銘

2022年11月29日にコタロウが亡くなって、その後、2023年1月11日に大好きだったばあちゃんが亡くなった。95歳だった。

短い期間に、大切な存在を立て続けに失って、メンタルは完全に崩壊。ここ2ヶ月、一生分の涙が出たんじゃないか?ってくらい泣いている。

ばあちゃんには色々とお世話になった。自分は3人兄弟の末っ子だったから、幼い頃はばあちゃんと過ごす時間が長かった記憶がある。無意識にばあちゃんっ子になってたんだね。

コタロウが亡くなったあと、12月末に会いに行ったのが最期だった。もうその頃は意思疎通できなかった。ばあちゃんも1年以上寝たきりだった。

慌ただしく、淡々と進む葬儀。そんな中で、お坊さんの言葉が何故か無性に心に響いた。信仰心なんて微塵もないんだけど、とても感銘した。うる覚えだけど、次のようなことを言っていた。

故人が生きてた頃は、普段の生活もあるし、仕事もある、忙しくて、故人に会いに行こうということも忘れがちになる。でも、亡くなってから家族や親戚がこうして葬儀で集まる。これは最期に故人が引き合わせてくれたこと。家族や親戚の大切さ、つながりを教えてくれているんだと思います。

大切な人を失って気持ちが落ちる。食事も喉を通らない。でも、悲しみは次第に和らいで、また普段の生活に戻る。お腹も空くし、眠たくもなる。それは仕方のないこと。人の体ってそういう風にできているから。

でも、故人のことを思い出すことは必要なこと。それが初七日からはじまって、49日(7日を7回)、週に一度は故人を思い出すようにするための風習なんです。

一周忌、三回忌、七回忌も同じこと。お別れで感じたこと、学んだこと、気付かされたこと、家族の大切さ、感謝すること、真っ当に生きることを忘れないようにする。法事には、そういった意味があるんです。

ばあちゃんが亡くなったことに対する悲しみに加えて、どうしてもコタロウのことを重ねてしまい、この話を聞いて余計に悲しくなった。

自分はいつも「亡くなってから、失ってからの後悔」ばかりしてしまう。

周囲には、涙し悲しむ姿が「心が優しい人」のように映るだろうけど、それは違う。ただ単に「やりきってない」から。自分のやったことに満足してないから。全力じゃなかったから…。

悲しいからって理由もあるけど、人よりも涙もろいのは「悔しい」って感情がとにかく大きい。

思い返せば、ばあちゃんに対してもそうだった。

ソファーで寝落ちしてたら布団をかけてくれた。車での送り迎えも。お金の面でも、ばあちゃんが色々と負担してくれた。学生だったから、思春期だったからという言い訳はしたくないけど、ばあちゃんの優しい気遣いに対して素っ気なく対応したりと、どこか「おばあちゃんが孫のために尽くすのは当然」という感覚もあった。

でも、大人になってその有り難さに気付いた。当たり前なんかじゃない。そこには思いやりがあって、気持ちが込められていて、間違いなく自分のことを愛してくれていた人がいたこと。

何か恩返ししようと思い始めた時には、ばあちゃんは認知症になって、寝たきりになって…。お坊さんの言葉にもあったけど、自分自身の仕事や生活のことがどうしても優先になってしまって…。

結局、これといって何も恩返しできないまま、ばあちゃんは亡くなってしまった。遅すぎた。また失ってから気付いた…。

だから、ばあちゃんが亡くなった時も悲しさのなかには「悔しい」って気持ちが強かった。

もうこれで最後にしたい。大切な人を失って、悔しい思いで泣きたくない。生きてる今から、家族や親戚を大切に、最低でも近くの家族を大切にしなきゃダメなんだって。コタロウを失った時にも、そう強く感じたけど、こうしてまたお坊さんの言葉で再確認した。

時間が経つと、日々の忙しさに追われて忘れがちになる。当たり前になってしまう。

でも、どんな嫌なことがあっても、憎くなっても、家族だけは何があっても大切にしないとダメ。コタロウとばあちゃんが立て続けに命を使って教えてくれたこと。人生において最も大切なこと。どんなことがあっても心に刻んで、忘れないようにしなければいけないと思った。

ばあちゃんが亡くなって葬儀でのお坊さんの言葉に感銘
地元では雪が降ると道路から水が噴き出る

あえて言うとしたら、ばあちゃんは幸せだったと思う。悔いなく生き抜いたと思う。娘である母や孫(姉)に最期まで見守られて、幸せな終末期を過ごせたはず。まだ元気だった頃だって好きなだけ海外旅行へ行き、多くの人に慕われ、趣味に生き、何不自由ない老後を過ごしていたに違いない。95歳という年齢を考えても大往生。本当に立派に生きたと思う。

ばあちゃんもコタロウも、命尽きた時、誰かに愛されて、「すごかった」と尊敬されてた。自分もそんな風な生き方をしなければいけない。真っ当に生きて、家族を大切にし、悔いのない人生にしなければ。

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この記事を書いた人

柴犬コタロウの老犬介護に生活の全てを捧げたアラサーおじさん。千葉の先端にある古民家で暮らしてます。保護猫2匹も一緒に住んでます。Twitter、Instagram、YouTubeでも老犬介護の情報を発信しています。

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