犬は外で飼い、死ぬ時も外で死ぬ。所詮は犬。人間の手を煩わすべきではない。一部の高齢者(特に田舎の)にとっては、それが当たり前。ペットという感覚がない。家族ではない。21世紀なのに犬や猫は未だ畜生扱い。
室内に入れる、暖房器具で暖かくする、ふかふかな寝床を用意する、オムツを履かせる、排泄の世話、食事介助、人間の介護同様のことをするなんて到底理解できないのだろう。
もし、車椅子に乗ったコタロウを目にしたら「あの人は犬を車椅子乗せるヤバい奴」なんて噂が広がるに違いない。彼らにとっては私が非常識人扱いになる。
飼い犬を凍死寸前で動物病院に連れてくる
これは高齢者に限ったことじゃないかもしれない。猛吹雪で氷点下になっても、犬を外に繋いでいる飼い主もいる。犬を畜生扱いする高齢者は動物病院にすら連れて行かないから、この飼い主は最低限の知能はありそう。それでもクズに変わりない。
「犬は寒さに強い」「寒いほうが快適」という謝った知識がどことなく刷り込まれている。犬種によってはそうかもしれないが、犬が歳を取ったらせめて玄関なり雨風凌げる場所に移すのが常識。頑なに室内には入れない、そんな知識も思考回路も思いやりも乏しい飼い主は未だにいる。
逆に夏の暑い日も。日陰は犬小屋の中だけ、という状態で外に繋がれている犬も実際に近所にたくさんいる。
犬だって寒さを感じるし、暑さも感じる。冬は暖かいところで眠りたいし、夏は涼しいとことで過ごしたい。飼い主と一緒に居たいし、眠りたい犬だっている。
やはり共通していることは「犬を家族と思っていない」というところ。
ペットの骨壷は絶対に家に置かない
実家で飼っていた猫が死んだ時も「骨壷は家に置くな」と祖母が大反対した。その為、父は年間使用料のかかる山奥の合同墓地にスペースを借りて置いている。
人が暮らす場所、ご先祖の仏壇があるこの家に、猫の霊魂が漂うのが嫌なのだろう。これも犬猫は畜生で人間と同じ扱いをしてはいけないという古い考えが原因。
はっきり言ってそんな迷信馬鹿げているし、合同墓地なんてお金の無駄。帰省のたびに会いに行くのも面倒。私は骨になっても大切な家族だから、ペットの骨壷は家に置いておきたい。
でも、そこの合同墓地にはたくさんの骨壷が納められている。ペットの骨を家には置いておきたくないと言う考えの人の数だけ。
高齢者に動物愛護を理解させることは難しい
しきたり、言い伝え、昔話、噂話を大切にする高齢者。動物愛護に関しては、とにかく考えの全てが古い。時代遅れ。理解ある高齢者も増えてきたが、田舎に暮らしているとまだまだだなといった感じ。
ただ、高齢者もずっとそういう教えで育ってきた。犬は外で飼う。番犬や狩猟の道具。人間のために働いてくれるから、メリットがあるから飼う。働かなくなった犬は…。数十年前までは、犬とはそういう存在だった。
プライドがあるから認めたくない。こちらの話を聞くこと、理解しようともしない。ある種の洗脳状態のある。昔の常識と今の常識。柔軟に考えを変えられる高齢者は多くはない。
だから、そう言った高齢者に、今のペットに対する考え方、動物愛護を納得させることは難しい。