去年の2021年10月16日、コタロウがてんかん発作を起こして倒れた。発作は数時間続く重積発作になり、重度の脳障害が残った。そこから突然の寝たきり介護が始まった。あれから今日でちょうど1年。不思議なことに「長かった」とか「あっという間だった」という感覚はない。ただ、コタロウはよく頑張ったなぁ、自分も何だかんだ頑張ったなぁという思いだけはある。
この1年、コタロウの介護しかしてなかったけど、色々と学んだこと、大きく変わったことがある。それを振り返りながらまとめてみようと思う。
奇跡の復活を果たしたコタロウ
16日の夜中、突然起きたてんかん発作。数時間に及ぶ重積発作が落ち着いてから1週間はほぼ昏睡状態だった。飲まない、食べない、全然動かないし、吠えもしない。呼吸も浅い。意識があるのかないのか、呼吸だけしている植物状態。コタロウはもう死んじゃうのか…と我が家はどんより暗い雰囲気だった。
「自分の命を10年を差し出すから、コタロウをあと1年生かしてくれ」「自分が病気になるから、コタロウは元気にしてくれ」などと神様に何度も祈った。
そこから何とか持ち直したコタロウ。アレコレ試して少しずつ食べるようになって、ウンチも出るようになった。立ち上がることはできないけど、まだ生きてくれる。本当に嬉しかった。また一緒に暮らせる。心の底から喜んだことを未だにはっきりと覚えている。
地獄のような日々が続いた
それからのコタロウはとても元気になった。ただ「立ち上がれない」「立てない」「歩けない」ということを除いて。自分は立てると思い込んでいるコタロウの介護は想像以上に過酷だった。あんなに物静かで、ほんわかして、おっとしりて、一切吠えることのなかったコタロウの面影はそこにはない。昼夜問わず大きな声で吠え続けた。息を切らして、ヨダレをたらし、失禁もする。異常興奮、パニック状態。静かな農村の古民家にコタロウの大きな鳴き声だけが響き続けていた。
立ちの姿勢をとらせれば落ち着くだろうと、リラクッションと車椅子をすぐに購入した。それでも、次は「歩けない」と暴れる。リラクッションからは何度も転倒するから目が離せなかった。
車椅子に乗せて部屋をグルグルさせることぐらいしか、コタロウを落ち着かせる方法がなかった。推定15歳の老犬が息を切らして狭い部屋を車椅子でグルグル回っている。なんだこの状態は。過酷なトレーニング、もはや拷問じゃないか。でも、この時はこの方法しかコタロウを静かにさせる、落ち着かせるすべはなかった。
自分は愚かで醜い人間だと痛感した
そうした状態が数ヶ月続き、次第に飼い主の心身にも影響が出始めてきた。
日中働きに出ている妻、在宅ワークの自分、必然的に自分がメインでコタロウの介護をすることになった。夜中も暴れて吠えるコタロウに対して寝ずに付き添った。早朝6時には妻が起きて交代、妻が出勤するまでの2時間で仮眠をとる。妻が仕事から帰宅したら仮眠。妻が就寝すると同時に起床して、朝まで暴れ吠えるコタロウに付き添う。24時間体制の老犬介護で夫婦すれ違いの日々が続いた。寝不足でお互い次第にイライラしてきて、会話もほとんどなかった。妻との関係が悪くなる一方だった。
生活リズムもガタガタ。自分の健康なんて考えている余裕はなかった。ただただ常に眠い毎日。
眠ってくれないコタロウ、大きな声で吠え続けるコタロウ、何をしても暴れ続けるコタロウ、そんなコタロウに対して何度も憎悪の気持ちを抱いたのも事実。今だから言えるけど「うるせー!」とコタロウに向かって怒鳴ったこともある。ひとりの時はコタロウの吠えに合わせて大声で奇声を発することもあった。一番辛いのはコタロウなのに、自分ばかり辛いと思っていた。
コタロウの介護で手一杯なので、依頼される以外の仕事はほとんどしていない。それでも仕事が手につかないストレス、収入が減っていく危機感、妻の収入に頼りっきりの状態、貯金もどんど減っていく。どこにも行けないし、好きなことだって出来ない。もう最悪な状況だった。イライラが限界に達して、何度も床や柱を殴ったりした。5年辞めていたタバコも吸い始めた。それしかストレスを発散する方法がなかった。息を切らして辛そうなコタロウを放って家の外へ飛び出し、気持ちを落ち着かせ、しばらくしてコタロウがいる部屋に戻ると、数分前と同じ姿勢で辛そうなコタロウがそこに横たわっている。コタロウはここから動けないのに…。そんなコタロウの姿を目にして泣く。そんな日が何度も続いた。
初めの老犬介護にイライラして、その度に自分が情けなくなって、コタロウに申し訳なくなって、またイライラして…気持ちが激しく上下して精神的にかなりキツかった。ひとりで何度も泣いた。完全にうつ状態だった。でも自分が潰れるわけにはいかない。必死に自我を保とうとしてた。
コタロウの介護をするようになって自分の弱さ、愚かさ、醜さ、未熟さ、幼稚さが、自分でもはっきりと分かるほど露呈していた。
SNSでは「優しいですね」なんてたくさん言われたけど、全然優しくない。むしろ酷い。こんな飼い主の元に来てしまったコタロウが本当に可哀想だと思った。
睡眠薬が救世主となった
コタロウの介護が始まって3ヶ月後、睡眠薬を使い始めた。睡眠薬といっても使用したのは抗うつ薬のトラゾドン(以降、伝わりやす用に睡眠薬と表記)
トラゾドンはそこまで強力な睡眠薬ではないけど、副作用の眠気により夜にまとまった時間眠ってくれるようになった。今思えば遅すぎた。もっと早くから使えばコタロウは辛い思いをしなくて済んだのにと後悔している。
昼夜問わず暴れ吠えていたコタロウが、睡眠薬によって決まった時間に一定時間眠ってくれる。夜中起きている必要がなくなり自分の生活リズムも次第に安定した。日中だけ頑張ればいい。
すれ違い生活だった妻とも会話する時間が増え、コタロウのことでちゃんと相談するようになった。
まさに睡眠薬は救世主だった。薬で眠らせることに抵抗はあったけど、それは決して悪いことではないと知った。コタロウだって眠いのに眠れなかったんだと。薬はそれを手助けしてくれる。飼い主だけじゃなく、犬自身の負担を軽減してくれる。
心残りないように色々やった
睡眠薬を使うようになって日々の生活、気持ち、体力的にも精神的にも余裕が出てきた。
老犬介護について色々調べるようになった。サプリ、栄養食、漢方、目薬、良さそうなものを何でも買って試した。鍼灸治療、マッサージ、ツボ押しなど、コタロウの症状が改善されるかもしれない事、改善まではいかなくとも緩和することを願っていろいろ試してた。お金もたくさん使った。
結果的にどれも効果はなかったけど、色々と試すうちに、悶々としていたあの時とは違う充実感、達成感、自分自身の辛さが和らいだ。飼い主のエゴ、自己満足なんだろうけど、コタロウの症状と真剣に本気で向き合う心構えが出来ていた。
他にも、犬用のケーキや鹿肉を食べさせたり、コタロウが嬉しいこと、思い出になることをたくさんした。思い出の公園へ桜も見に行った。
少しずつ老いていくコタロウ
コタロウの容態がガクンと悪くなったのは2022年の梅雨あたり。シニア犬が体調を崩しやすくなる季節。
小さな痙攣や発作、脳梗塞のような症状が頻繁に起きるようになって、その度にご飯を食べなくなった。皮下点滴をすれば復活してまた食べるようになるものの、食いつきは徐々に落ちていった。
そして10月中旬に起こした痙攣発作を境にご飯を口にしなくなった。1年頑張ったと思っていた矢先のことだった。
強制給餌による流動食しか食べないから、体重はまた落ちて骨と皮状態。耳が壊れそうになる吠え声も今やかすれて声になってない。リラクッションや車椅子に乗せると辛そうにしてる。水もまともに飲めないので自宅で定期的に皮下点滴を行うことにした。
1年前、暴れまくっていたコタロウとは全然違う。弱々しいコタロウになってしまった。なんだか、シニア犬っぽくなった。
1年間、本当に頑張った。穏やかだったコタロウが、あんなにも大きな声を出せて、あんなにも激しい動きが出来るなんて。けどもう限界なんだね。全身全霊で力を出し切ったんだ。
もうガリガリで弱々しい姿になったのに、横に寝かせると動かない足を使って立ちあがろうとする、リラクッションや車椅子に乗せると弱々しく足を動かして歩こうとする。最期まで諦めないコタロウ、流石だなって思う。
ずっと後悔はつきまとうのだろう
こうやって1年振り返って思うことは、全てにおいて「もっと早くやっておけば」という後悔ばかり。
今はシリンジで流動食しか食べられない。だから、自分の力で食べられる時にもっと美味しい物をたくさん食べさせればよかった。ドッグフードにこだわりすぎた。何でもいいんだよ。少しなら人間の食べ物でも良い。食べることがコタロウの幸せだったのに。
今は車椅子に乗るのも辛そう。元気なうちに、自分の足で進められた時に、車椅子でもっといろんな場所に連れて行けばよかった。
今は体位変換するたびに脳が揺れて、それが痙攣となって辛そうにしている。出来る限り安静に動かしている。脳疾患って初めから分かっていたんだから、当初からもっと丁寧に介護すればよかった。そうすれば脳へのダメージも軽減されて、症状は和らいだのかもしれない。
睡眠薬だってそう。使えばこんなにも寝るんだから、もっと早くから使えばよかった。夜に限らず、昼間も使うべきだった。とにかくたくさん寝かせれば良かった。寝る時間が増えれば脳への負担も減るし、体重だってここまで落ちなかったはず。
1年前はリラクッションの上でも足をバタバタさせて、車椅子だって自分の足で蹴って進んでいた。あの頃は「もう立てない、歩けない」って完全に諦めてた。それよりも全然眠らないことで頭がいっぱいだった。そうじゃなくて、マッサージやリハビリを毎日時間をかけてやるべきだった。例え立てなくても、関節や筋肉が柔らかいままで、症状が緩和されたかもしれない。
そもそも発作をすぐに止めてやればコタロウは今でも元気に歩いてたかもしれない。飼い主があまりにも無知すぎたし、かかりつけ医が処方した薬も不適切だったし。
こんな風に思い返せばキリがない。
過去は変えられない。その時は毎日が必死で、100%の力でコタロウの介護をしていた。今のことだって「もっと出来ただろ」と後々後悔するんだろうな、なんて。
安らかな最期に向かって
ご飯が食べられなくなり、わずかな流動食で繋いでいる状態。水分だって足りないし、皮下点滴も頻繁にできない。下痢も続いており、内臓が限界なのかもしれない。容態は1週間前と全然違ったりするから、現状維持できていない。少しずつ命が小さくなっていくのを感じる。
「最期は枯れるように」という考え方もある。食事や水を無理やり与えないというもの。ちょっと揺らいだけど、コタロウからは「まだ生きたい」って意志を感じるんだよね。
口の中に流動食を入れてやれば咀嚼して飲み込むし、「もっと」と要求もする。水だって溢しまくってるけど飲めてる。コタロウは食べたいし、飲みたいんだなぁって。
だから、コタロウが「もういい」ってなるまでご飯や水は与え続ける。でも、太らせたり栄養のために無理して食べさせたり飲ませたりはしないことにする。
飼い主が諦めたらそこが犬の寿命になるけど、飼い主がいつまでも諦めなければエゴになる。ホント、加減が難しいよね。
もうコタロウ色々と限界なんだね。お別れの時が近いんだよ。覚悟を決めないといけない。安らかな最期に向かって進まなければいけないんだね。